「ジョジョリオン」鑑賞文

総当たり戦。

アウトプットはしてみるものだ。どんな場末のブログでも書いて外からアクセスできるようにすれば書いた者の責任は生じる。
だから引き篭もりがちになるわたくしとて、書き出すと見えてくる絵はかならずある。考えているだけ・・・頭の中でのインプット転がしとは違ってくる。

先に「ジョジョリオン・エキサイティング」を書いてのち、浮かんだ言葉一つは「総当たり戦」だった。
ただこれはリーグ戦の「総当たり表」のように皆が順番に全部あたる・の意味のようだから意味が少し違うかもしれない。

全員が一丸となって大きな敵を倒しに行くこと・を日本語ではなんと呼ぶのだろう。

とにかくも、「ジョジョリオン」は過去の第2部から第6部までのジョジョとその仲間、仲間の中でもジョジョの決戦で大きな助太刀をしたコアなメンバーたちが、いわゆるラスボス戦へ臨む形になっている。


「ジョジョリオン」には目立った2つの特徴があった。
ひとつは今作ジョジョである東方定助が、何かの融合体である、いわば「合体」スタイルであると最初から示されていたこと。

もうひとつは、前記事を書きながら私が思っていた「ボス・アレルギー」について。
わたしは呑気に(荒木先生、ボス・アレルギー治ってよかったですね)と考えていたのだ。

「黄金の風」のボス「ディアボロ」を作者自身がおそろしく嫌って、完結後一度も絵にしていないという話はわりと有名なことらしい。
漫画家であり、ジョジョの画は個展その他あらゆるコラボレーションで望まれる荒木飛呂彦さんは完結作品の旧いヒーローを今でも需要があって描き続ける「必要がある」稀有な漫画家である。

それでもディアボロは「ジョジョ集合写真」のような構図にも登場しない。ドッピオで置き換えられてお茶を濁されるのである。

画家が絵にしないのだから、それは一般人が「その人物の名前は口にすらしない」と同義で、嫌って忌まわしく感じているといずれファンが気づいた経緯なのか、ご本人がどこかで説明されたか、までは知らない。

しかし「ジョジョリオン」佳境の今、ラスボスのトオル(透龍)くん+明負悟院長の「二つ姿」は、まさに作者の忌避する「ディアボロ+ドッピオ」になぞらえられて私には見えるのである。


だが(総当たり戦)でボスに挑むという構図が浮かんだ途端に「壁の目」のあの絵が目の前に再現され、「壁の目」ではじまった「ジョジョリオン」が何のために描かれたのか、作者がどのような気持ちで描き始めたのか、ズシンと肚にきたので鑑賞文を書くことにした。


まずは東方定助の「合体」の形は、肉体と名前から紐解く。
歴代ジョジョの名前を列挙すると

第1部・ジョナサン
第2部・ジョセフ
第3部・空条承太郎
第4部・ジョルノ
第5部・東方仗助
第6部・空条徐倫
第7部・ジョニィ
第8部・東方定助

東方定助は、前杜王町編の「東方仗助」のなぞらえであることは歴然なので連載開始から皆をわくわくさせた。
そして実態は「吉良吉影と空条ジョセフミ」がロカカカによって合体したものと中盤で明かされた。
「ジョジョリオン」は建前としては「スティール・ボール・ラン」の続編、第6部完結パラレル・ワールド以降の第二弾で「SBR」にはジョニィがおり、東方定助および吉良吉影はジョニィの子孫なので、第1部=第7部のジョナサン・ジョニィは「合体」に加えない。
もしくは血を引き継いでいる:最初から合体しているという考え方もできる。

「空条ジョセフミ」とは誰か?
1部から6部までの「ジョジョ全員の合体」を示したいとき、絵としてネックになりやすいのはどうしても「空条徐倫」というシリーズ唯一女性のジョジョなのだ。

空条ジョセフミと聞いて、(あ、ジョセフと徐倫も出て来た!)と素直に読み手が気づければいいが、私もまた(あ、空条でてきた。承太郎やん)と思ったクチである。

なんというか、父親が有名すぎる苦労だ。
そうでなくとも作中で「空条」の姓つきで呼ばれた場面が承太郎と徐倫では数が違いすぎる。空条といえば承太郎、その読み手側の反射反応と「女性」の外見が「ジョジョ全員合体」に徐倫を入れる妨げになる。

では「吉良吉影」とは誰か?
二人の人間の「合体」と思われていたときから(物理的には今もそうだが)最初に明かされたのは、この名前だった。
東方定助はあくまでも吉良吉影と「誰か」がくっついたもの・とされて、もう一人は誰なんだ、いったい誰だ?が「ジョジョリオン」ミステリーの開始点になっていた。

吉良吉影は、吉良・ホリー・ジョースターの息子であるから、最初から「空条承太郎」のなぞらえと認識されていたのである。
海洋学者・空条承太郎を彷彿とさせるために、船乗りの証の水兵帽とセーラー服。それを(第4部にうまく第3部を含め)と評してきたのが読者のわたくしだ。

(*ここに、第6部「ストーンオーシャン」を再読したあとの、空条徐倫「補完」を追記する。
吉良吉影の代名詞は「殺人鬼」
ジョジョ第6部で「殺人鬼」アナスイと結婚の約束をしたのが空条徐倫。
「吉良吉影+空条ジョセフミ」は殺人鬼と一緒になった「空条」とは誰を想起できる? の謎かけになり、見つけにくい「徐倫」隠し絵の補完が一つ強くなっていた。)


だが佳境にきて「黄金の風」や「ストーンオーシャン」のなぞらえが特に強調され、「呪い」あるいは「厄災」のなぞらえが「あのボス」と決め打ちで考え始めると、自然と「ジョジョ全員合体」の全貌が(総当たり戦)という思いつきとともに落ちてきたし、東方花都には「絶対リサリサが入っていると思う」などと思って書いてみると、(トリッシュは?)とまた別の側面が見えてきたのだ。

広瀬康穂というヒロインの特徴は?
名前やヒーローを助ける相棒ポジションとして「広瀬康一くん」が真っ先に思い浮かべられ、康一くんが女の子になった〜とはしゃいでいたが、彼女の生い立ちは?
いかにも現代の話らしく、母親と疎遠でネグレクトぎみのシングル・マザーと・・・という背景があるが、「母親に愛されていない」と呟いてみると、あぁここにトリッシュがいた、と気づいた。

本質を衝くとはそういうことだと思う。
自分でもたやすく浮かんだ異論としては、マフィアの部下たちを大勢使い倒してまで自分の娘を抹殺しようしたあのボスと、たかだかネグレクトぎみの日本のシングル・マザーを引き比べるのか、スケールが違いすぎないか、その通りだが。

広瀬康穂の心は?
(わたし、ママにあまり愛されていない)
これに尽きると思う。ネグレクトだの、二人暮らしの寂しい家庭だの、母親が男に夢中で娘を顧みないだのは「客観」できる側の他人言葉で、広瀬康穂は「私は母親に愛されていない」とすら口にできないと思う。心の中で(あまり・愛されていない)と認めるとも認められないともどっちつかずの言葉を洩らすのが精一杯。

いつも彼女の心は母親に殺されかけている。
そう書けば、トリッシュのなぞらえとして十分だろう。


東方花都が最新号の佳境で、どうにも空条徐倫を彷彿とさせるように振る舞う、それをまるでエンポリオのように振る舞う広瀬康穂のセリフが補う。

東方花都の身の上が、年齢が、その言葉が、空条徐倫を思い出させ、見るものにはリサリサを思い出させ、読者に(今、杜王町で何が起こっている?!)とソワソワと周囲を見回すような気持ちにさせた時に、「ジョジョ全員が合体」して「呪い」に立ち向かう構図は仕掛けとして完成する。


それは、「ジョジョリオン」の独立した本編とはまた別の物語だ。

故郷は遠きにありて思ふもの

私にはこの聴き慣れた詩のフレーズしか浮かばなかった。
前回の記事を書いた後というか、書きながら「SBR」ラストシーンのジョニィの(ーーー帰ろう)という思いは、どんなに深い気持ちで描かれたものだったか・・・に身につまされていた。

もちろんその時は、抽象的な意味での「帰ろう」だ。
今日いま書いている記事とは視点がまるで違い、それは初心なのか、原点なのか、量り知るべくもないけど深い、とあらためて感銘を受けていたのだ。

たまたま偶然ではあるが「故郷に錦を飾る」という言葉が少し前に気に触って、(故郷で錦を飾れれば良いのに。みんなが。)などと独り言で考えていた。

似たようなことを言った人物がいる。かなり昔でリモートワークという言葉もない頃に、今はFAXもあるから「中央に」出なくても仕事ができる。ここ杜王町で。

と語ったのは、あの有名な岸辺露伴先生だ。
みんながそうなれば良いという願いなんかではなく、ニュアンスとしては俺という天才・人気漫画家だからそうできるんだよ、といった得々とした物言いであった。

露伴先生がそう考えているかは別として、彼は故郷「で」錦を飾れた人だ。
荒木飛呂彦先生は「故郷に」錦を飾ったお一人だ。

なぜ「ストーンオーシャン」完結後のパラレル・ワールド第二弾の「ジョジョリオン」でジョジョたちが全員結集することになったのか。

第6部までで十分長く有名なシリーズで、第二弾ジョジョは壮大な「セルフ・オマージュ」として幕を開け、ジョナサンに対する二代目ジョニィの完成度も文句なし、平凡に考えれば、次は二代目ジョセフにあたる誰かが新しい主人公で新しい物語という方向が「定型」的である。

それを「ジョジョリオン」では惜しげもなく、全員出してしまう、結集させてでも描きたかった何かがある。


書きながら言葉を探しているため、記事の上の方では

「過去の第2部から第6部までのジョジョとその仲間、仲間の中でもジョジョの決戦で大きな助太刀をしたコアなメンバー」と曖昧な表現になっているが、「慰霊碑」という意味を考えるとごく自然に「英雄」という言葉が浮かんできた。

ジョジョ・シリーズには主人公のジョジョとは別にいつも傑出した英雄がいた。
シーザー、ブチャラティ、ジャイロ、ウェザー・リポート・・・

話を少し戻すが「SBR」のようなセルフ・オマージュをしたときに、荒木飛呂彦作の「スタンド概念」というのは絶妙な威力を発揮した。
たとえば犬のイギー。彼をガムをくっちゃくちゃする「白と黒の犬」以外で連想させるのは難しい。何せセリフもない。

ものすごく根性が据わってて、感じ悪いけど、時に情に厚く・・・なんて登場人物はゴマンといるわけです。
でも「ナリ」はどんなでもいい。「砂のスタンド」が登場したら、イギーを思い出す。

「本体+スタンド」のセットだから片方が明らかに現れればオマージュとして成立した。

そしておそらく「白」「黒」「犬」という要のキーワードをあえて外すように考えると白人でもない黒人でもないアメリカ原住民・インディアンが定義された。逆さまだからわかるキーワード。=サンドマン。

「ジョジョリオン」は、セルフ・オマージュの続きではない。
ジョジョを結集させるにはやはり2つの軸・X+Yのようなものがあれば判明しやすいが、スタンドを被らせるようなことはあえてしていない。

あくまでも第N部の誰某だとわかるように、仲間・それも傑出した英雄たちや、相棒クラスの友人、家族を配置することで、いつかジョジョが全員、結集したことが「見える」仕掛けになっている。

わたくしは前回、言葉選びに迷いに迷って、パロディなのか二次創作なのか、はたまたオマージュかとうろうろオロオロしましたが、ジョジョの大看板が「人間讃歌」なら、なぞらえ歌であり、隠し絵であるというのが目下のところいちばん納得のいく、というか作者の想いにあまり失礼すぎず説明はなりたつ呼び名で、隠し絵は、隠れているものが多く見つけられてこそ「歴代ジョジョたちの結集」図が見えやすくなるからです。

祝福される者。

たとえば私個人がいくらプロシュート兄貴が好きキャラの上位だからと言って、彼を「英雄碑」に載せちゃあかんくらい物の理ですやね。
誰でも彼でも面白かったキャラクターや目玉シーンを彷彿とさせるセルフ・オマージュでは「ザ・グレイトフル・デッド」も出番はありました。
いや、かなりの山場で登場して胸躍りました。

しかし「ジョジョリオン」は慰霊の「碑」なのですよね。
歴代ジョジョが結集して、岩に削りつける、忘れてはいけない日を刻むための「碑」

あるいは鎮魂歌。
ジョジョ・レクイエム


「ジョジョリオン」の生い立ちを日付で確認しました。

前作「スティール・ボール・ラン」は、2011年5月号で連載が完結。
ジョニィが船上で東方理那と挨拶を交わすシーンは、SBR本編に支障のないようにごく小さく何気なく配置されましたが、この時から「ジョジョリオン」構想ははじまっていたのかと後になってファンは驚嘆させられたものでした。

そして「ジョジョリオン」について繰り返し語られるのは、「記憶がない」存在の哀しさ。
けして身寄りがない、ではなく。


遺された者たちに記憶がある限り亡くなった人々は生き続けるのだと、だから私たちは遺影を飾り、大きな事故や災害の跡地に慰霊碑を建てる。

これ以上書くのは野暮ですが、歴代のジョジョたちに慰霊碑はいりません。初代ジョナサンですら描かれていないとジョジョ署名あつかいにならないほど、誰一人忘れ去られることのない偉業を成し遂げたのが仙台市出身の荒木飛呂彦先生です。

あなたたちを忘れない。忘れられるわけがない。「記憶」がわたしたちを繋ぐ。

ジョニィの「帰ろう」に込めた御心も、慰霊碑に刻むべき言葉も想像を超えているので私はここで書けませんが、今日は2021年5月27日です。「スティール・ボール・ラン」完結から10年。

2011年3月11日から10年と少し。あの日から10年、荒木飛呂彦先生がどんな気持ちでどんな仕事をやり遂げたのか、見届けますし、絶対に忘れません。

真面目で物静かで少し天然・・・なんていつも荒木先生についてキャッキャッ騒いでますが、そう、優しい人なんですよね。大好きです。とても尊敬する、優しい方です。今日はそんなことを思い出しました。