ジョジョリオン・エキサイティング

豆銑礼 (まめずくらい)が、ウェザー・リポートに見えたなら、それはもう「ジョジョリオン」という作品の「ジョジョ」見立て絵は完成間近っ!!

・・・なのではないか。というコトで非常に興奮して書き出した。
仕事押してるので詳しく書く暇ないよどしよ、と思いつつ、でもそんなことしてる間に「ジョジョリオン」最終回きちゃうかもよ、とか、いや最終回より先に考察してましたードヤッ とかそういうことではないんだけど。

荒木先生またどえらぁ事を考えましたな、に興奮しすぎて。

先を書きながら調べていたら確証的になってきて、ちょっと怖いんだけど・・・荒木飛呂彦先生、怖い。そして凄い。
「ジョジョリオン」で海から高価な宝石を持って流されてきた子供がいた。あれを想い出すと震えます。


経緯からいこう。「ジョジョリオン」を単行本で読んでいて雑誌で連載追いをしていない自分は最近遅れて「ジョジョリオン」に「黄金の風」の匂いがすることに気づいたわけです。

ラスボスのトオルくん、もしくは病院の院長、明負スタンド、このラスボスに向かっていく追う姿勢を意思を見せると「厄災」が襲ってくる。
これがあまりに「黄金の風」のボスと似ていて。

「黄金の風」では身元不明な謎に満ちた存在のボスについて、知ろうとすると追手が次々と襲ってくるという筋書きでした。身元がバレるのを恐れるあまりに自分のDNAを引き継いだ自分の娘さえ抹殺しようとしようとするボスに対して、そこに気づいた「ブチャラティ」たちが、マフィアのボスに反旗を翻す、その闘いが「黄金の風」の終盤。

主役と主人公という意味で使い分けると、主役は「ブチャラティ」で主人公がジョルノ。
ジョルノはいわずとしれたDIOの息子です。
悪の遺伝子を引き継いだはずなのに、なんでだか黄金の精神の持ち主なんだよねぇ、という不思議ポジションではじまりました。

「黄金の精神」とは抽象的ですが、悪の遺伝子を引き継いだはずなのに、「正義」のためなら手段選ばす俺ぁ一般人をやめるぜ、マフィア組織に潜入して根本から世界を覆すぜ!というのがジョルノ。


DNA

さて、ここで回り道をする。
DNAという単語をわざと出した感ありますが、「岸辺露伴は動かない」の女性誌初掲載で、荒木先生はじめてじゃないか、純然たるラブ・ロマンスを描いたなぁ・・・という作品のタイトルが「DNA」でした。

え、おまえアレを(純然たるラブ・ロマンス)とか言っちゃうの?それはもうジョジョ病に侵食された頭のヘンな人よ?自覚ある?
と言ってくれていい❤︎

それでもね、女性誌だからちゃんと女性誌らしい物語にしたなぁという大感心をさせられた「DNA」
今思えば輪廻転生ものといえなくもない。

純然たるラブ、純愛、行き着く先は「生まれ変わっても、来世でも一緒になりましょう」
これが「DNA」のストーリーでした。
車の事故で新婚の夫を亡くした若い未亡人が、新しい恋も結婚もする気にはなれないが、精子バンクの手を借りて子供・女児を出産することにした。
この「女児」がかなり風体の変わった女児なので、生物学的な父親が気になりだして漠然と調査を開始する、そんな物語です。

この母親が最初に相談を持ちかけるのが山岸由花子で、愛の化身(おっかない方面の化身)がキッカケをつくるのも女性誌に対しベスト・セレクト!と感心したものだが、岸辺露伴はそんな面倒に巻き込まれたくねぇ興味もねぇと座を外すものの、彼のスタンド「ヘブンズドア」が生物学的・父親を探すヒントをチラ見せしてしまったところから物語が動き出す。

結論として、精子バンクを通して正体は明かされないまま不思議な女児の父親になっていた男は、15年前に事故で生死の境い目から生還して精子を提供したあと、本人も結婚・離婚して男児がいる。

新婚ホヤホヤの夫が自動車事故で亡くなったのもちょうど15年前。
そのバツイチ男は明らかに女児の父親なのだが、それとともに亡くなった夫の仕草や口癖を繰り返すのだ。

誰も何も言わないけれど、女児のシングル・マザーであるヒロインと女児の父親は「新しい恋」をしてスピード婚にいたるハッピーエンド。

「誰も何も言わないけれど」変な文章になったな。
輪廻転生は死んだ人が新しく誕生する生命に乗り換えて生まれてくることを指すので、20代後半から30代に見える精子バンクの男、生命が一度も終わっていない男は、厳密には「輪廻転生」たりえないけれど、「誰も何も言わなくたって」ヒロインにも読者にも、亡夫の生まれ変わりのように見えている。

輪廻転生、ストーリーとして好きすぎてすぐその単語に走るわたくしだが、ジョジョリオンの主人公「東方定助」をキメラだよ、と一言で説明できる人には「DNA」のヒーローもきちんとキメラに見えたのではないかと思う。

えぇっと、ジョジョの読者にもうさぎと亀がいて、自分はノロノロっと気づく方。けして亀が最後に勝つとかいう喩えではなく。うさぎスピードの人はたしかにいて、見える景色も違うんやろな同じ作品でも、という感想。
そして亀はどこから考えはじめたか。


ポロンのあざを調べてみた

阿呆ですけどね、荒木飛呂彦先生とわたくしの唯一と言える共通点、横山光輝ファンというくらいしかない。
「バビル2世」最高っす!

あの時代に基地のある砂漠をコンピュータ制御で周囲に見えなくしているとか、ロデムという黒豹が美しい女性従者に変化するとか最高要素のてんこもりなのです。

バビルの塔にある巨大コンピュータは旧式で磁気テープのロールも見られるから、こっち方面のあなた、ぜひ読んで。
とかそういうこっちゃなくてな、本題は横山光輝原作アニメーション「魔法使いサリーちゃん」でした。

「ジョジョリオン」に「黄金の風」風味が見えてくると、今作の仇である岩人間たちは、(なんや壁の男やないかーい)と壁土に同化して長い眠りを眠っていたあの男どもも彷彿としてきたわけで。

で、なんとのうジョジョ世界での輪廻転生てどんな観念なんだっけーとぼんやり考えていると「ポロンのあざ」がやたらと脳裡をちらついて。

あれが最終回からわずか2回目だったとは調べて驚いたが、わたくしの幼馴染がおバカで、手の甲にピンクの四葉を描いて、その下に「ポロンのあざ」と文字書き説明までしていたのが高校時代。

「魔法使いサリー」は何度も再放送をしていたので、私たち世代は小学校から高校までに何度も観ている。で、まぁ高校時代のいつかに最終回目前でまた「ポロンのあざ」を観て真似していたんだろう。

サリーちゃんの声でその回のタイトルを「ポロンのあざぁ〜」と読んで放送がはじまるのが可愛くて、話の内容は忘れていても、タイトル読みの雰囲気のまま脳裡で(ポロンのあざぁ〜)と繰り返し思い浮かべた。幼馴染もそのタイトルコールを真似しながら見せるためだけに手の甲に落書きしていた思い出。

ポロンちゃんは元は人間の子供ながら魔界で育ってしまったために魔法まで使えるようになった女の子で、眠っている間は人間に戻ってあざがくっきりと蘇る、昼間はあざが消えて見えないという設定だった。
それが人間の母親と再会して戻ると起きているときも四葉のあざがあらわれるようになったと。

あとは横溝正史の「悪魔が来たりて笛を吹く」も遺伝で引き継がれる痣が謎を解く鍵でした。たしか炎に見える赤い痣が肩甲骨あたりにある。
背中側なのでベッドシーンの濡れ場でないと見えないってのがいかにも横溝正史でミステリアス・エロチックで面白いんですが

ジョジョの初代もたしか肩の後ろ、DIOの背中の写真を念写してたなぁと思い出してみると、「悪魔が来たりて」に近い気もするんですが、ポロンのあざの「四葉」のクローバーなところと、単純な星型という「マーク」感も捨てがたい。

そして「黄金の風」からジョルノが「ハート型」を出してくるわけです。
星ならジョジョ系、ハートならディオ系みたいなマークですね。


人は記憶と既視感とともに生きている

すっかりやられた。してやられた。という気分で書き出した、その感覚の再現はむずかしいのだが、「ジョジョリオン」の東方定助は当初から作者の言葉ではもっとも哀しい存在という説明がされていました。

自分が何者かもわからない寄る辺なしの天涯孤独、天涯孤独の中でも亡くなった両親がいるわけでもない、生い立ちがない、記憶もない、その天涯孤独中の孤独を「もっとも哀しい存在」としているのだと思いますが、物語の冒頭から二人の人間の「融合」であることはハッキリ描かれていた。

吉良とジョセフミの合体した半々なんだなということは中盤でわかりますが、「ジョジョリオン」とは何なのだ? この舞台は何処なのだ? にずっと翻弄されてきた読者わたくし。

福音の「リオン」とジョジョをかけ合わせた造語タイトルですと最初から言われていたのだった。祝福される者。

「おさらい」にかこつけて大好きな「スティール・ボール・ラン」第7部について語ると、第6部でジョジョのシリーズは一つの完結を見て、第7部からはまったく別のパラレル・ワールドに突入している。

初代ジョナサンにあたる現世界の初代が「スティール・ボール・ラン」の主人公であるジョニィ・ジョースター。
彼はジョナサンとは違って、高潔さとは無縁な「奢ったスター」として初登場します。半身不随だが、それも自業自得の成れの果てという歴代ジョジョのナンバーワン・クズ認定をあちらこちらで受けているこのジョニィ・ジョースターが私がいちばん好きなジョジョ。

「スティール・ボール・ラン」レースが進むにしたがって、この作品はジョジョの「セルフ・オマージュ」なんだということがわかってくる。
登場するスタンドはたしかに新しいのだが、どのスタンドにも登場人物にも1部から6部までの由来がある。

わかりやすく愉快なのがマジェント・マジェントの末路。
彼は病弱で身体が弱く下っ端のクズと仲間にも見下されていて、最後はスタンド能力を解除すれば溺死・解除しなければ一生ディラウェア河の水底にいるしかないという状況でたった独り、「考えるのをやめた」

第2部でカーズが宇宙の果てまですっ飛ばされて、どこにも行くことが出来ない状態で、「考えるのをやめる」最期は壮絶で、慄然としたのを忘れられないが、そのオマージュが、無敵生物となったカーズとは真逆の病弱な下っ端に訪れる。

「スティール・ボール・ラン」はこういう小気味良さの連続が、ロードムービーのような静かで激しい流れとともに積み重なっていく素晴らしい「セルフ・オマージュ」

予想はつねに裏切られ、期待はつねに裏切られない。


ジャイロの不倫シーン

今になって想い出す名シーンが、旅の途中で雪に半ば埋もれて眠っていたジャイロ・ツェペリが見た夢。

「スティール・ボール・ラン」は全編が馬に乗ったレースの旅なので主役・主人公の日常生活はほとんど描かれない。
そんな中でジャイロが故郷で病院勤めをしていた頃に女性患者とイチャイチャした夢を見ている。

実家の入院病棟で、厳しい父親に隠れて患者と、というけしからん風な流れからコソコソと隠れた逢引きをしていて、そのスリルも二人は楽しんでいるのだが、女性患者の肌を「すべすべ」に治してあげてはしゃいでいると、薬指の指輪を外した陽焼け跡までくっきり見えてしまって、あぁこの女は既婚者だったのかと無自覚でしていた不倫にふと気づくシーン。

そこでジャイロは樹木から落ちてきた雪に目を覚まされ、夢の続きもなければ回想に対する彼自身の感慨も特に見せない。無言の映像。
一見なんのために挿まれたシーンなのかわからないが、この後ジャイロは死に向かってまっすぐ進んでいく。

何故なら彼はシーザー・ツェペリだから。
ジャイロは通名で本名は父と自分だけが知っているシーザーだとジョニィに秘密を語る場面も覚悟と伏線になっているが、女たらしだが先祖から引き継いだ正義と名誉のためには命をも顧みなかったシーザーの「女たらし」ぶりを、あの短い夢を挿むことで匂わせている。

陽気で、大胆で、クールに、男らしく生きることに命を燃やしたジャイロにもう夢中になっているさなかに、この男はシーザーなんだよ、もうすぐ壮絶に散るぞと教えられていく不穏。
漫画の中で登場人物が死んで、喪失感にやられて頭が呆然という経験はあまりなかったので、本気で苦しかった。
ジャイロ・ロスはきつすぎたので、ジョニィ依存になったほど。
また単行本の表紙がふるっていて・・・主役の交代劇を、きちんと表紙で描きわけているのです。


セルフ・オマージュを堪能したあとに

先の章で副題にしてしまったが、人は生きた記憶があってはじめて「その人自身」であり、歳を経て知識や享楽の経験値を増やして、既視感の量もおのずと増えていきながら自分らしさを生きていく。

その「記憶」そのものが東方定助にはない。
第7部で壮大なセルフ・オマージュに魅せられたあとに第8部として「ジョジョリオン」が開始し、舞台は東日本大震災後の杜王町、身元不明の主人公に仮につけられた名が「東方ジョースケ」
ホリーさんも登場する、吉良が息子だという、広瀬康一くんのかわりに広瀬康穂というヒロインがしょっぱなから大活躍。

これは第2部と第3部を飛ばして第4部か、と最初は思う。
東方家の家系図を見せるところもある。
ジョニィ・ジョースターは「スティール・ボール・ラン」レースが終わった後、彼にとってはすべてが終わったような状況の中で
「ーーー帰ろう」と乗り込んだ船の中で日本から参加していた東方ノリスケ翁の娘と挨拶程度の目礼をかわしている。

その後、そのお嬢さんと結婚して渡日して生まれた息子の子孫が吉良・ホリー・ジョースター。東方家とは縁戚となったジョニィも家系図に載っている。
うまく第3部も含めながら、第4部が舞台ではじまって・・・と読み進めてきて、ラスボスを意識したあたりから第5部「黄金の風」が入ってきてないか?

と、あらためて見直すと、そもそも怪しさいっぱいの東方家の面々、トランプに絡んだ名前がかなりつけられてますが、一家の当主である東方憲助がハート型のバックルがついたベルトをしていたりする。大家族が並んでいる扉絵やシーンも豊富だが、これまんま「ファミリー」じゃないか!と後から気づくわけです。

ジョルノがいたマフィアの「ファミリー」を連想させる日本版とも解釈できるのか!と。東方家は子沢山で、長男夫婦と孫の「つるぎ」も含めて大家族は和気藹々そのものだが、子供たちの母親は殺人罪で収監されているという、その設定をあらためてみれば「ストーンオーシャン」第6部の要素もそれらしく入っていたのだ。はじめから。

何せ第6部の徐倫は「女囚」ですからね。
そうして「既視感」を探しはじめると、東方常敏がつけているおっかしな髪ピンもブチャラティか?と見え始めてくる。
東方常敏を説明するテキストは「東方家の長男。毎日が夏休みだと思っているタイプ。」

単行本に毎度載ってくる人物説明だが、たしかに「クワガタ」を夢中で飼ってたりするものの、危険な密輸やマネーロンダリングに関わっていたり、とても「夏休み気分」が真っ先に書かれるべき要素の人じゃないんですが・・・

「マジェント・マジェント」の法則に照らすと、あのクソ真面目なブチャラティの「逆さ鏡」であれば「毎日が夏休み」にも急に頷けたり、「黄金の風」後半のブチャラティの代名詞とも言える冷たい血液と、東方常敏の「血液を沸騰させる」スタンド能力も妙に付合して見えてくる。
そして服装。常敏が着ている白いスーツは他の誰よりもブチャラティのスーツに似ているのだ。

ここまで来て、最新巻25巻でも定助と共闘している「豆銑礼」兄さんにモデルがいないわけはない・・・と探して見つけたウェザー・リポート。天候を操る男と「植物鑑定人」の豆銑礼。
服装からするとどうもこのウェザー・リポートが似て見えるポジションだなと思って、あらためて第6部のウェザーを調べはじめてびっくり。

「記憶喪失」はウェザー・リポートの特記事項でした。
しかも実兄であるプッチ神父に盗まれて。

なぜ調べる必要があったかというと、わたくし第6部だけは少年ジャンプ掲載時の「一読」しかしていない。
ディティールの記憶が、造詣が深いの逆で、ものすごく浅い。
なぜ第6部には執着しなかったのかなぁを後から考えて、ごく最近自覚していたのは、無類のロードムービー好き故に、ジョジョの中での好きな順序が「旅」であるか否か、な模様。

おまけに軽い閉所嫌いなために、監獄が舞台はかなり閉塞感があったんですね。
電子書籍派になってから揃えなおしたのが、4・5・7の全巻+「ジョジョリオン」進行中。
と、今見直したら1部・2部も部分買いしてるなぁ・・・と、え。6部もしてた(笑)

それはさておき、電子の無料3巻までがちょうど来てたので「ストーンオーシャン」をあらためて読みはじめてみると、「東方花都」がそこにいた。

無実の罪で「15年間」の懲役を言い渡された空条徐倫。
ロメオという彼氏の轢き逃げで遺体遺棄を手伝わされたように思っていたのが、実はまだ被害者は存命しており、後であらためて殺害され「沼に沈められた」という悪質な「殺人罪」の罪を着せられる。

かたや東方花都が犯した罪とは、長男の常敏が少年時代に放火を強要されるといういじめを受け、突発的にスタンド能力を発動して殺しかけた中学生を、東方家の「祠」に埋めたこと。

「男次第で決まる女の人生なんてあたしはまっぴらごめんよ」
「自分で決めるわ」
「でもあたしはね・・・」

「あなたの為なら生きれるわ」と息子を見つめて語る花都。

ロメオにまんまと嵌められた徐倫との対比がくっきりしてくる。
そしてまだ息のある中学生を運びながら「このまま こいつは地面の底に沈めてやる」と。

まだ読んでいない最新号は、#107 東方花都の”攻撃”「ウルトラジャンプ2021年6月号」なのですが、東方花都とラスボスのトオルくんが遭遇した緊迫した状況下で、広瀬康穂ちゃんが、かなり目立って逃げてと騒ぐようです。

ネタバレ板からそのまま転記させてもらうと
「彼はすでに敗北して只そのまま!
死んで行くだけッ!!

花都さん 気持ちはわかるわッ!!
でもそいつから離れてッ!!」

第6部「ストーンオーシャン」2-3巻で空条承太郎が亡くなった場面のエンポリオのセリフを抜書きすると

「気の毒だけど、もう君のお父さんは死んだんだ・・・
でもお姉ちゃんはギリギリで生き残れたんだよッ!
それなのに!
なぜ逃げなかったんだ」


ここまで来ると、冒頭にあとから挿んだ「海から高価な宝石を持って流されてきた子供」の意味がわかります。

「ストーンオーシャン」ー石作りの海ー からすべてははじまっているという最大のヒントだったんですね。
「ジョジョリオン」の厄災は「海」から高価な「石」をもった子供があらわれたときにはじまっていると。


D4Cの能力

私は趣味で「見立て絵」を見慣れているため、豆銑礼=ウェザー・リポートでハッと思いつき勢いで書き出してしまったが、ここまで来ると荒木飛呂彦さんが「ジョジョリオン」で何をしているかさすがにわかってきた。

ジョジョのラスボスの能力はよくビデオデッキの性能で例えられていた。時を止める、飛ばす、巻き戻す、早送りする、そしてプッチ神父はDISCに書き換えてスタンド能力を盗む。
リード・ライト・コピーと、どの単語がいちばん相応しいかちょっとわからんが、本体から複製品を抜き出しているのは確か。(まるで海賊版)

そしてテープレコーダー、ビデオデッキ、ウォークマン、に続いて登場したiPodには「シャッフル」という機能がついている。
一枚の音楽アルバムCDを順番に聴くのではなく、アルバムをバラして個別曲に分けたうえ、別アルバム・別アーティストにまたがって順不同で、再生できる機能だ。

また東方家が象徴する「トランプ」のカードをディーラーが切って混ぜ合わせて、カードの順番をわからなくする行為も「シャッフル」と呼ばれる。

先に言い出した「見立て絵」というのはパロディのことで、現代でいえば「コスプレ」のような浮世絵作品をたくさん見てきた。
ただコスプレと違って、似ていなくて良いのです。
むしろ意外性があってクイズのように謎解きめいていつつ、紛れもなく「何か」のパロディであることがわかるのが面白い。

美しい少女が亀に乗って釣り竿を肩に乗せている。
華麗な振袖を着ている。
鈴木春信「見立て浦島」

浦島太郎なら誰でも知っているから、私にも一眼でわかり楽しめる。でも遊女が大きな鯉に乗って文を読んでいる図「見立ての琴高」は琴高仙人を知らない私にはすぐにはピンとこない。
ただし絵師として腕があり、版画として見事に完成されているので、わからなくても魅力はある。

要はモチーフとなる原典があり、原典を知っているからこその面白さとともに、原典を知らない人さえも魅了する力が独立して在る作品。

「ジョジョリオン」はすでにこの見立て絵のような部分・部分が配置されているために、わたくしのような「鈍しっ」でもだんだん気づいてきたが、そういえば荒木先生は真面目で正直な人なのだった。

ストーンオーシャンが「アメリカ」舞台でパラレル・ワールドが創出されて終わった。
だから「スティール・ボール・ラン」は「アメリカ」を再び舞台にし、別世界がはじまる。アメリカで時を巻き戻し、西部劇のような馬で旅する時代に、蒸気機関車の時代からジョナサンとはまるで別人のようなジョニィが初代ヒーローとなり、その次がいきなり現代の杜王町へ移行し、日本の狭い杜王町の中に「ジョジョ」世界を丸ごとパラレルで埋め込むという力技・・・

「スティール・ボール・ラン」のラスボスのスタンド能力は、パラレル・ワールドを自在に行き来できるファニー・ヴァレンタイン大統領の「D4C」

パラレル・ワールドを自在に行き来できるD4Cは、大統領が窮地に陥ったとしても、無数にあるパラレル・ワールドから別世界の大統領とタッチ交代で復活したように戻って来れるため、不死ではないが不死身に限りなく近い。

そしてなんとジョニィとの最終決戦の時に、命乞いの代償として、別世界から死んだジャイロの代わりに別のジャイロを連れて来てやることも出来る、なんぞと誘惑かますわけですよ、こんな酷い取引あるかぁ。

パラレル・ワールドのジャイロは、ジャイロ・ツェペリであるものの、別世界の人間でけしてジョニィと長い旅を過ごした、時間や記憶を共有した、この世界のジャイロではないまったく別人のジャイロ。それを殺した本人だけが、そっくりそのままのジャイロを「連れて来てやれる」とほざくわけです。

その能力名を「いともたやすく行われるえげつない行為」と名付けた荒木大先生。

かつて「ジョジョしか描けない」とおっしゃっていた。
だが「ジョジョならいくらでも描ける」と。

わたくしたち長年のファンは、第6部でジョジョ、世界が変わっちまったよ、終わってしまったよとなりましたが、あんな素晴らしいセルフ・オマージュでパラレル・ワールドがはじまり
そして「ジョジョならいくらでも描ける」と、今度は杜王町で、ビデオデッキにはなかった機能、iPodでおなじみとなった「シャッフル」をかけた複製やパロディを散りばめたジョジョが、「祝福される者」として現代を闊歩している。

そうですね、セルフ・オマージュは1回で終わりですとは誰も言ってない。そしてジョジョ全編はすべて荒木先生の「アルバム」のようなもの、シャッフルで取り出されたら目眩しとしてはこれ以上に目が眩むものはない。

大統領が、自分なら別世界のジャイロを連れて来れると言ったように、荒木飛呂彦なら別世界のジョジョを、無数にあるパラレル・ワールドの数だけ連れて来れる、を今「ジョジョリオン」で体現されている、感動と恐怖。畏怖か。

これをなんと呼べば良いのだろう、と考えて、何度も浮かんできたのが「双子」と呼ばれた作品のこと。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」とアルベール・カミュの「異邦人」はかつて「双子」のような作品と評されたらしい。
ストーリーも構成もまったく違う、もちろん作者も違うのに、双子のように似ている、と読んだ人間が認識してしまう不可思議。

物真似でもパロディでも盗作でもないのに「似ている」
空気が。
醸し出すものが「同じ」
だから双子。

カミュが「郵便配達…」に影響を受けたという説があるようだが本当のところは知らない。ただ発表時期をたどると、「郵便配達…」の方が先なのかも知れない。
そして「郵便配達…」は私がハードボイルドを愛するようになったきっかけの作品で、ごく薄い文庫本だったので、旅に出るときはほぼ携帯して読み切るため、6、7回くらいは再読している。

ジェイムズ・ケインとアルベール・カミュが二人で起こしたようなことを、ジョジョは一人の作家がやってしまうんだなぁ、と感嘆しました。

そして双子といえば・・・


運命と印

双子というのはどういうものなんでしょう。
双子の親にも、兄弟にもなったことがないのでまるで見当がつきませんが、著者プロフィールをほとんど知らない私でも、荒木飛呂彦さんが恐怖の原点として、双子の妹を持つ兄であることを挙げていたのを思い出した。

煩わしいでも、面倒臭いでもなく、「孤独」だとたしかおっしゃっていた。恐ろしく孤独であることが「恐怖」の感覚だったというような。

饒舌な方ではないが説明はうまいので、あぁなんとなくわかるなぁと聴き入った。単純にいっても常に2対1で対峙しなきゃならない相手が家庭内にいたら、味方のいない孤独感に苛まれるのは想像できた。

ジョジョにありがちな恐怖設定として「延々とそれが続くこと」というのがありますよね。先が見えない恐怖という慣用句とは逆に、先の先までこれが続いていくと知ってしまう恐怖。
家庭では小規模ながら「延々と」と思いやすい状況に陥ることは、誰にでもある。兄弟なら少なくとも10年とか、予想できても長い長い日々なわけで。

で、他人が一卵性の双子と過ごしていても、わりと長く同席すれば二人の区別は見てわかるようになる不思議とか、そもそも同じDNAで同じ環境に育って、いずれは別々の配偶者をもつ。あるいは片方独身で、片方は既婚者とか、同じルートを辿るのに、どこかで個体としてはっきり枝分かれしていく、これも当たり前だけど、不思議。

そもそも・・・ 双子っ 妹っ 恐怖っ!
とジョジョ風には言ってないけど、おっしゃっていた荒木先生が、今「まるで双子作品描いてますねぇ」と書くのは、いいのか? と多少気が引けたのだけど、作家だけですよね、別の時に別の場所で双子を生み出せるのは。
ということで、先生の運命だったんじゃないでしょうか。と勝手に思い開きなおってみた。
ご本人はもちろん誰かに「双子」と評されるとは思っていないと思いますが。
まぁいつだって郵便配達は二度ベルを鳴らすものだ。

途中に「岸辺露伴は動かない」の「DNA」を持ち出したのは偶然というか、理屈じゃなく伝わってしまう「本質」のようなものを見る、見分ける話がしたかったのだと思うが、遺伝子として女児に引き継がれている「外見」的な特徴と、仕草や振る舞い、過去の思い出に通じる「言葉」で伝わってくる「亡き夫」の面影を描き分けているのが、あらためて凄いなと思うわけです。

子孫に星型のマークをつけるわかりやすさと、まったく違う別人だけど、ジョジョの世界観をまったきに踏襲してる「これぞジョジョ」を何度も輩出してきた、並行の結実が「ジョジョリオン」だ。

そう今風のわかりやすさで書けば、シン・ジョジョだよな。
もうセルフ・オマージュとか超えていく気満々に見える。
荒木先生自身がD4Cなんだもん・・・

それから何となく書きたかったのは、荒木先生は「勧善懲悪」はお嫌いだということ。
いや、嫌いとは言ってないだろうし、もしかしたら半沢直樹ドラマ観てスカーッとしてるかも知れないが、悪と正義はすっぱり割り切れないし、白黒つけられないことも多く、立場状況変われば敵の正義がこっちの悪だよね、悪にも悪の正義があるよね、と何度か言ってきた究極の形として「ファニー・ヴァレンタイン大統領」が生まれ、今後ジョジョの中でジョナサンとディオのような、善悪のわかりやすい対峙はなかろうと思われる。
その発端というか、そういう方向で描きたくなったのはジョルノからだろうから、DIOの頭とジョナサンのボディから生まれてきたジョルノの再現が「壁の目」で生み出された二人で一つの東方定助というのは、振り返ってみれば当然の帰結だと思える・・・思えるが、そんなこと誰も思いつかん。

ジョルノが「ファミリー」に加わった再現が、東方家ファミリーの一員になることだなんて、もうホントになんて楽しい冗談だ。

で、ジョルノのスタンドってどんな能力だったっけーとググると、出て来ますね。
まるで「ロカカカ」の果実のような能力が。

また引用。
「ゴールド・エクスペリエンスの能力は、対象に命を与えてそこから生物を生み出すこと」
「またこの能力を応用して、対象に生命を与えることで、それを人体の一部として生み出すこともできます」

シャッフルの魔法・・・すげぇ。

あとね。「ジョジョリオン」でとても感謝していることがあって。
「ソフト&ウェット」でプリンス曲がジョジョのスタンド名、しかも主役のスタンド名になるなんて狂喜乱舞だったうえに、相棒の広瀬康穂ちゃんは「ペイズリーパーク」
プリンスを失ったばかりだったプリンス・ファンにとって、完璧すぎるだろう、嬉しすぎるだろう、とまるで掌を擦り合わせて拝むように読み進めてきて、ラスボスがプレスリーだよ。
曲名からすぐわからなかったので調べて「わぁお!」言ってた。
むしろよくプレスリーが残ってたなと感心してしまった。

不徳の致すところ

さて、まとめましょう。
パロディだ、見立て絵だ、オマージュだ。どの表現が適切か迷うのを簡潔に。

「ジョジョリオン 」は凝縮型ジョジョ全編としてのシン・ジョジョ。

第1部から第6部を読み込んでいる人はシャッフルに惑わされなければ、あなたの愛してきたジョジョを、どのアルバムのどの曲か、という風に、第XX部の誰某だ!という風にまた逢える楽しさ。

東方花都は、空条徐倫とわかりやすい対比にはなっています。
母親と娘という対比、息子が死んだとき、父親が死んだときという対比、逃げてと叫ぶのがエンポリオと広瀬康穂という対比

でも東方花都にはかならず「リサリサ」が入っていると思う。
監獄にいたために、息子たちのそばにいられなかった母親
その罪も、土地の呪いを祓うために犯した側面があり
先祖の因縁のために闘う道を選んだリサリサと重なるように描かれている。

となると、豆銑礼も原型モデルが一人とは限らずウェザー・リポートの他にもう一人いるのかも・・・と考え出すと、わたしにはジャイロに感じられるが、ここですることは答え合わせではなく、味わうこと、考えるより感じろ、なのかも知れない。

あぁそうだ、途中気づいたが忘れていた言葉。アニメや「薄い本」界隈に疎くてつい失念した「二次創作同人誌」
この目的は、原作を味わい尽くすためにあるんでしょう?
描く楽しみもあるだろうし、購入する人はまだまだ読み続けたい原作をさらに味わうために買う。よく出来ていればいるほど、良いんだろう。

その二次創作を、原作者自身が、プロ意識の中で全力でやったら?

それが「ジョジョリオン」の正体ですね。
わたくしでも知ってる「カップリング」の代わりに「キメラ」出て来ちゃうのがジョジョだけど!
味わい尽くすために在る。そう考えたら、最高のファンサービスで最高の新作で・かつ二次創作というのがいちばん腑に落ちた。

とにもかくにも「ジョジョリオン 」で記憶のない哀しい存在と指し示されたときに、(まるでウェザー・リポート)と想い出せなかったのはねぇ・・・最年長層に近いジョジョラーとしてどうなの、と不徳の致すところでしたっ を猛省しつつ、謹んで「ストーンオーシャン」カラー版を購入することにします。

2巻まで読み返したら、やっぱり面白いんだもん。仕方ないじゃないすか!
そして読後に言ってやる。DIOバイバ〜イと朗らかに。