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文化的な朝

チャンスの神には前髪しかないから、巡り合ったらすれ違ってしまう前に掴め。(少ない前髪を)

という諺がある。

どちらかと言うと若い人間に向けた啓発文句のような気がするが、ふと思った、この諺の発祥地にも「後ろ髪を引かれる」という言い回しは存在するのか否か。

いかにも後ろ髪を引かれて背中を振り返ったあとの後悔の言葉に聴こえるからだろうか。
啓発の文脈的に「次こそは」「そのときは」機会を逃すでないぞと「来たる時」を語っているのはわかるのだが、起承転結の「起」として、過去に機会を逃した苦い後悔がないとなかなか後進に語る蘊蓄にならんのでは? という疑いが匂い立つ文言だなと。

まぁ諺そのものが、人生を後悔をしないための「他人が授ける含蓄」ではある。

しかしまぁ人生も後半になると、何事もタイミングなんだよなぁという他動的な面を知りすぎていて、それを「幸運」と思ったところから、たまたまこの物思いのきっかけが生じたのだが、「後ろ髪」云々は、いつもの(こうやって、どうでもいいことばかり考えてるよな)に帰結した。

そして、あまりにも早い朝から、つらつらと文化のことを考えている自分を笑って(ふ。健康で文化的な生活・・・)とまた連想していた。日曜日の朝である。


いやいや。それは我が国の憲法だから笑うな。
だが一応数年の病気療養はしたので権利は持っていても失った時の辛みは知っている、身に覚えはある。

文化的な生活、わたくしの場合には、あまりにも怠惰にそこはかとなく移りゆくままに文化のことばかりを考えて妄想と空想をほんの僅かな創造の間に繰り返している、と翻訳されてしまうが。
それでも文化的な生活が担保されている幸福よ。

日曜日の朝である。あいかわらず、能天気でのうのうとした態度で文化的な。


はなからの結論として
チャンスの前髪 < 人生はタイミング(日頃の行いも含め)

とは思いつつ、諺の由来をググるくらいはして、見ればわかるけど建設的なページが腐るほどヒットして啓蒙的な文章もお読みして、うわぁリンクはしかねる(この文章とテンションが違いすぎる=あちらに迷惑)という中で、おまえか!カイロス!となりかけた。

朝ゆえの思い違い事故である。諺の語源となったカイロス神はゼウスの未子だというので、我が家の未猫の「カイルス」とは別人。いや別神。

譲り受けた猫なので生家でつけられた名前の由来は知らず、どうやら古代神・ウーラノスの別名と前に調べていたのに、カイロスが前髪しかないけど少年、しかも「カイロス時間」の語源というのでつい乗っかりそうになってしまった。(少年という単語の破壊力こわい)

いやしかし理解しましたよ。ウーラノス(カイルス)は果てしなく巨大な体躯を持ち、無数の銀河系が鏤められた宇宙を常に身に纏っている。

天神の説明・ようするにデカい、何よりもデカい。巨大猫種メインクーンの名前としては、ありだった。なるほど。そして名付けた百さんはたしかに大きなメインクーンが好きだったな。
そして宇宙が蒼いとすれば青猫につけたのはわかる気がした。


しかし! ですね。変ですよね。
ゼウスの未子という定義、なんなんでしょう。
読む分にはなんとも思わなかったのに、書いてみると絶対変だろ、おかしすぎるだろー。となった。

わたくしが幼少の頃、ギリシャ神話フリークとしてお見かけしていたゼウスという神様は、これが「未子」これ以降なし・・・と言い切れるような性欲の男神ではなかったよね
むしろ永遠に未子が生まれ続けるような振る舞いだったよね
神様の仕様おかしいだろ。と思ったが、妻があれか。
未子決定なのかもね。


それにしても時刻と時間を使い分けるギリシア語で、主観的な内面時間を指す「カイロス」が少年の面立ちで、機会・チャンスの神様で未子。
ダビンチは間違ったのではなく

チャンスの前髪 < 人生はタイミング(日頃の行いも含め)
と自分が書いたカッコ書きの部分もわかっていて「幸運の女神」はそもそも自分が招き寄せたものだという自負あっての言葉ではないかなと思いました。

また女神といったかどうかも怪しい。男性名詞・女性名詞のあるイタリア語で主体がダビンチという男性なら、船の名前に女性名しかつけないような意味で、招き寄せるのは男神ではなく女神と無意識に女性名詞をつけて「幸運」を指すこともあるよな、という憶測と

何しろミケランジェロと同じフィレンツェ共和国出身の芸術家でかなり先に生まれている、宗教画も多数描いている、そのダビンチが「機会」の神様カイロスの少年な容貌を知らずに女神と間違えるとはとても思えない。混同する? ありえないだろう。

翻訳に意訳に他言語の媒体も入って、混同してしまったのはたぶん後年の読み手のほうですよね。それでも「幸運」という単語は主語として残るのでしょう。

イタリア語で幸運は、fortunato(男性形)かfortunata(女性形)

というのを、このママブログで調べてきたんですが、この早朝の物思いが何事も他動的なタイミングを「幸運な俺」と思い英語翻訳したら「A lucky web designer」と訳されたところからはじまったのと呼応するごとく

「あなたはラッキーね!」「ツイテルね!」
と誰かに、相手が幸運であることを称える一言は、

「Sei fortunato!(セイ フォルトゥナート)
|Sei fortunata!(セイ フォルトゥナータ)」

と説明してくれています。
そう、ダビンチに関しては「チャンス」とは言っていないんですよね。彼が幸運、「ラッキー」か「ツキ」がめぐってきた・まわってきたの「ツキ」として指した者の容貌が、前髪しかないカイロス神だっただけ。そしてもしかしたら女性名詞で呼んだらしい、ところまで。


一方で自分が最初から知っていた「好機はすぐに捉えなければ・・」の容貌説明つきは、フランソワ・ラブレー

「機会(チャンス)は前頭だけに毛髪があり、後頭ははげている。
もしこれに出会ったら前髪を捕えよ。
一度逃がしたら、神様でもこれを捉える事は出来ぬ」

確かに最初に読んだものは「後頭部に髪がない」言ってたなぁ。漫画にもたびたび絵つきで出てきたので、後部モヒカンの大人を想像してましたが、こうムダに調べて、自分でアウトプットしていくと印象はだいぶ変わったな。カイロス神。

少年の容貌をほどこしてはいるけど、頭は赤ちゃんの髪の毛を連想させる。モフッと前髪というより頭頂部の髪だけが長い赤ん坊のような。背中や足に羽根が生えていたり髪がふわふわと長かったり、身軽さは「瞬間」をデフォルメされている感もある。

フランソワ・ラブレーとダビンチのどちらが先に書いたのか気になりましたが、生年はダビンチがはるかに早くても、どちらもその時代的には長生きなので、二人の人生は十分重なっていて、原典にあたらないかぎり勝手な推測は不可能。


おもしろかったのは、「チャンス」という直訳英単語にこだわらずカイロス神・カイロス時間を意識して諺を読んだ人は「機会」をターニングポイント、タイミング、ティッピングポイントと解釈していたこと。自分もまさにそっちだと感じて、不等号あらため

チャンスの前髪 = 人生はタイミング(日頃の行いも含め)

で良い気がしてきた。
そして諺自体は、その船に乗れ!という程度のエール文のようにも。うる覚えでも「一度逃がしたら」は覚えていて「神様でもこれを捉える事は出来ぬ」とか威嚇・脅迫のニュアンスは感じてたんですよ(笑)

それに沿って書かれているブログたちの熱いこと重いこと。
まぁ諺そのものが、人生を後悔をしないための「他人が授ける含蓄」ですからね。

でもダビンチの言葉は知ってみると、言い切り、言い捨て感は好きかも。彼は「前髪しかない」と事実を指してるだけで、それでどうせよまで言及していないのが、他人事であり、我がことでしかなく、いい。


さて、文化的な朝だったはずのものが、昼になってしまった。
ここでもう一人の時間を司るラスボスに登場してもらおう。

The World !!

「・・・時よ、動き出せ」